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人生は時に予想もしなかった出来事が起きる事があります。
初めは動揺し、恐れ、混乱するかもしれません。しかしどのような状況の中であったとしても自らの選択で希望を持ち続けることが出来ます。
以下は私の人生に起こった予想もしなかった出来事のパーソナル・ストーリーです。 読まれるすべての方にとって希望と感謝を持ち続ける人生の道標となれば幸いです。
2009年の5月、それは日曜日の朝でした。
私は目がさめて、いつものように教会へ行く準備のために起き上がろうとしました。しかし、なぜかその日は体のバランスを取ることが出来ず、よろける感じがしました。夫は私に病院へ行って、血液検査とMRI検査を受ける事を勧めました。早速その週のうちにMRI検査を受けたところ、脳の中に小さな腫瘍がある事が分かりました。はじめ夫も私も「どうして?」と思いました。なぜなら私たち夫婦は比較的健康には注意を払い、出来る限りのことはやっていると思っていたからです。予想もしなかった現実に、「何かしらの意味があるに違いない」と私達は思いました。体のバランスが取れないと言うこの最初の出来事の後は日々の生活に支障をきたすような症状や問題点は何もありませんでした。一ヶ月後、脳外科医の木村医師は二度目のMRI検査と診察の際に脳腫瘍を取り除く外科手術を受ける事を私に勧めました。しかし病気の症状となる兆候が何もない私はその時点で手術を受けようとは思いませんでした。
9月の初め、癌のために深刻な状況にある宮崎にいる友人から私に会いたいという電話がありました。私は彼女に会うために電車と飛行機を乗り継いで宮崎に向かいました。お会いした日は珍しく彼女の痛みが和らぎ十代で出会ってからの思い出話をしながらともに良い時間を過ごしました。帰りのタクシーに乗ろうとした時です。私は車のドア枠に強く頭をぶつけてしまいました。これが原因であったかどうかは分かりませんが、滞在しているホテルに戻った時に方向感覚を失っている事に気づきました。それと同時に度々体の左側で物にぶつかるようになりました。宮崎から飛行機で羽田に戻り、バスで横浜駅に向かい、東海道線に乗って平塚駅に向かうという、今まで何の問題もなくやっていた移動ルートをたどるのにかなりの困難を覚えました。それでもなんとか自宅の最寄り駅である平塚駅で電車を降りましたが、改札出口を見付ける事が出来ず、助けを求めて夫に電話をしました。翌日、夫は頭を強く打った事による脳内出血を恐れ、私は病院へ行き、CTスキャンを撮ることになりました。脳内出血はありませんでしたが、腫瘍は最後の診断の時と比べてかなり大きくなっていました。したがって手術をしていただく話をするために9月11日に夫と一緒に木村医師に会う予約を入れました。しかし9月9日の午後、自宅で二回おう吐したため、勤務先の夫に電話をしました。夫は私のところに駆けつけてくれるよう友人のK子さんに連絡をし、彼女は私のために救急車を呼んで、東京の病院(NTT東日本関東病院)まで同乗してくれました。脳内の腫瘍を取り除くための手術が2009年9月10日の午後5時半ごろに始まりました。およそ5時間を要した手術は成功し、腫瘍を完全に取り除くことが出来ました。
手術後、その日は集中治療室(ICU)に泊まり、翌日一般病棟に移りました。私が意識を回復した時に看護師に「話をする事が出来て良かったですね。」と声をかけられ、私もそう思いました。看護師と会話をする事により、聴力も失っていない事に気がつき、カウンセラーである私は聴力が手術によって損なわれなかった事を嬉しく思いました。さらに彼女は「リハビリをすれば杖を使って再び歩けるようにもなるでしょう。」と言いました。その言葉に私は大変驚きました。なぜなら歩くことが出来なくなっているとは考えてもいなかったからです。でも現実は左手と左足の感覚がほとんど無く、また重く感じられて自分の意思で動かすことは困難でした。また左目の視野が狭くなっていたので、物を見ても脳に映像がうまく写らない部分がありました。
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